どうも物知りクマのウルスです!
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五稜郭は北海道の函館に残る城跡です。星型が特徴のこの城は日本初の西洋式の城郭で、幕末に徳川幕府により建てられました。
https://goo.gl/maps/y5ZA2c8SNEQspcWq8
五稜郭が建築されるキッカケとなったのが日米和親条約です。アメリカの全権大使でもあったペリー提督との間に結ばれた条約により、約200年続いた鎖国政策が終わりました。
この時、開港されたのが静岡県にある下田と北海道の函館でした。(幕末のころは箱館と呼ばれていました)
当時の函館(というより北海道)はまだまだ未開拓地であり、江戸幕府の影響力も薄いものでした。
開港により函館を発展させる必要が出てきたため江戸幕府は「箱館奉行」を配置しました。
箱館奉行の主な役割は箱館港にやってくる外国との交渉、および箱館周辺の防衛業務でした。
初期の箱館奉行所は市街地にあったため、奉行所の防衛が難しい、海に近いため船からの砲撃にさらされる可能性があるなどの理由から、五稜郭が建築されることになりました。
五稜郭の設計は蘭学者の武田斐三郎が担当しました。彼は箱館にたまたま来航したフランス船に乗船していたフランス人から西洋式の設計技術を学び五稜郭を設計しました。
1864年に五稜郭は完成し、箱館奉行所として箱館行政の中心地となりました。
五稜郭が戦いの舞台となるのは、戊辰戦争の最後の戦い「箱館戦争」です。
1868年、新政府軍が統治していた五稜郭を幕府軍の海軍を率いていた榎本武揚が新選組を含む幕府陸軍を上陸させ占拠します。
新政府軍はすぐに反撃を開始し圧倒的な軍事差を見せつけ五稜郭を奪還しました。ここに戊辰戦争は終結し日本は近代国家への道を歩んでいきます。
[編集後記]
今日のメルマガを書いていて思い出したのが、歴史のなかで幕末だけ偏愛している人が時々います。
(だいたいキッカケは坂本龍馬です笑 僕も小学生の時なんども坂本龍馬の学習漫画を読みました)
確かにその人と話していて面白いんですが、それと同時に「もったいないなぁ~」とも思ってしまうんですよ。
歴史は長い時間の流れの軸で見たほうが絶対に面白いからです。なるべくこのメルマガでは様々な時代、地域、ジャンルを取り上げようと思っています。
本日もお読み頂きありがとうございました!
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