青春とは何だったのか?を考えさせられる「金閣寺」

書評

三島由紀夫の金閣寺を読みました。1950年に起こった実際の事件が題材になっており、三島さんの想像力と豊富な言葉により、放火犯の負の感情が言語化されている作品です。ある種の三島さんの思想を動機に金閣寺が燃やされたと錯覚させる小説でもあります。

金閣寺を読んでいて思うのは人の鬱々とした感情は自分自身を破壊してしまうということです。主人公は吃音というハンデを背負って生きており、また幼少の頃から両親や他者に対する疑いの心を持ち成長しました。

この本を読んでいて思ったことは放火まではいかないまでも、このように負の感情を抱き青春を過ごした方は多いのではないか? ということです。学校という狭いコミュニティでは階級があり、その中で下層に属していれば日々、金閣寺で描かれた学僧のような負の感情を抱くということです。青春ドラマで描かれる、恋愛、友情といった悩みとは違うもっとジメジメとした悩みに関して主観で描かれる作品というのは珍しく感じました。

 大人になるにつれて、それらの悩みや人間の汚さを徐々に受け入れることができ日々生きることに必死でそれらの悩みは消えていきます。ですが青春時代の汚いものを許せない価値観が自分を苦しめ、外の世界に対する恨みや怒りに変わっていくのです。最終的にこの本の主人公は自分の中の絶対的な美の基準かつ自分の人生を縛り付ける象徴である金閣寺を燃やすことで精神的に開放され、生きようと決心し物語を終えます。

 ですが僕も含めて多くの大人たちは青春時代のトラウマに蓋をして、誤魔化して大人なフリをしているところがあります。そのトラウマに向き合い、ちゃんと肯定してあげることで真の大人になることが出来るのではないか? と考えさせられました。

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